明治?大正?「運転免許」はいつからできた?

公道でクルマを運転する際、必要になる運転免許。当たり前のように取得し、携帯していますが、そもそも「運転免許」という制度は、いつからあるのでしょうか?

免許の始まりは1903年

日本で初めて自動車が走ったのは1898年(明治31年)と言われています。

このころの日本は翌年に日露戦争を控えている時代です。
都心では路面電車や人力車による移動が一般的な時代。。。

自動車は、乗る人も限られており、大多数の人は乗ったことはおろか、見たこともないものでした。
しかし、1903年(明治36年)3月に開催された「第5回内国勧業博覧会」が大きな刺激となり、日本でも乗合自動車の需要が高まります。
1903年8月、愛知県で日本初の自動車免許制度「乗合自動車営業取締規則」が制定されました。

1903年(明治26年)8月に愛知県が「乗合自動車営業取締規則」を制定

初めて自動車に規則を設け、運転手に許可証を発行したため、これが日本での運転免許の始まりとされています。

1907年(明治40年)2月に警視庁が「自動車取締規則」を発表。

東京で自動車を運転するために許可が必要となりました。
当時の新聞には、「規則に従い、各会社は願書を差し出しするように」という記載があります。
規則の制定に関して警視庁は、試乗会まで実施して入念に考えたようです。

1919年に「自動車取締令」が制定

運転免許が全国区の決まりとなったのは、大正時代に入ってからです。
1912年(明治45年/大正元年)には、全国の自動車保有台数は500台ほどでしたが、これが1924年(大正13年)になると2万台以上へと爆発的に増えました。
同時に自動車の運用方法も多目的になり、乗合自動車のほかに、タクシーや自家用車も登場してきます。そのため、自然と県をまたいで走るクルマも多くなり、地域ごとにまちまちだった規定を統一する必要性が出てきました。それが、初めて全国統一の交通法規として1919年(大正8年)に施行された「自動車取締令」でした。
「自動車取締令」では、甲種と乙種の免許が定められました。
甲はどんな車両でも運転できる免許で、乙は特定自動車や特殊車両に限ってクルマを運転できるというものです。また、免許取得は18歳以上が対象で、各地方官による試験もありました。
期限は5年で“更新制”ではなく“再試験制”だったのも、現在とは違うところ。
免許を持っていても、再試験で不合格になると免許が維持できなかったのです。

1960年の「道路交通法」でほぼ今の形に

1933年(昭和8年)の「自動車取締令」改正では、運転免許は普通免許と特殊免許、小型免許の3種類に分類され、初めて「普通免許」が登場。
普通免許と特殊免許はどちらも18歳から取得でき、小型免許は16歳から試験なしでの取得が可能でした。

1956年(昭和31年)旅客を運送する業務に従事するための、第二種免許が新設

1960年(昭和35年)「自動車取締令」に代わって「道路交通法」が施行

小型免許が廃止され、普通免許、大型免許、第二種免許に分けられたことに加え、原付免許が新設されました。また、二輪でも、側車付き自動二輪免許が自動二輪免許に統合されます。
 運転免許は自動車や交通事情の進化・変化により大きく変わってきました。
自動車運転や無人運転が当たり前の時代になると、また大きな変化が訪れるかもしれませんね。

次回は免許の種類(二輪)のご紹介などをと考えています。